Undertale感想

 これはUndertale公式日本語版をN*1→P*2→G*3のルートでクリアした感想です。これを読んだ人は、少なくとも憶えてゐる間は、同じやうな体験をすることができなくなると思はれます。なほ、読まなければ同じやうな体験ができることを保証するものではありません。ただ、ハッピーエンドまでの道程については大して触れません。


* In this page , there is nothing but spoilers.
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*1:Neutral=P,Gの条件を満たさない通常ルート

*2:Pacifist=誰も殺さない平和主義者ルート

*3:Genocide=全員殺す破滅ルート

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Undertale紹介

ごきげんよう
……
今「ごきげんやふ」なのではないか
と思ったかもしれない
君は仮名遣ひの真実を
理解してゐないやうだ
……
まあ この話は置いておかう

Undertaleといふゲームがある
折角なのでURLを貼っておかう
http://store.steampowered.com/app/391540/Undertale/?l=japanese

RPGといふジャンルについて
少なからぬ思ひ入れがあるなら
君はこのゲームの
真の価値を理解する筈だ
君の抱くゲーム愛に
このゲームは十分に応へてくれる
だから 君は
正直な気持ちで臨めば良い

「誰も倒さなくて良いRPG」
これがUndertaleの触れ込みだ
君の中ではもう既に
誰も倒さずにクリアする見通しが
立ったことだらう
君は
いつもの如く
君の分身に名前を附け
いつもの如く
世界を救ってみせる
最高のハッピーエンドは
RPGに期待される物の一つだ
君にとっても醍醐味だらう
まづはそれを堪能すると良い

しかし 言ってしまへば
そこで終はれば普通のRPGだ
そこで満足するのも
一つの幸せな選択ではあるが
それだけなら
百戦錬磨のプレイヤー達は
高評価を付けなかったらう

一つの大義を成し遂げたとき
一つの大きな疑問が残る
その疑問が
君をもう一つの道へと誘なふ
そこで目にする光景は
屹度忘れられないものになる

ところで 君は
ゲームといふものを
「体験芸術」と呼ぶことに
異論はあるまい
……さういふことだ
皆まで言ふまい

ワンダールクス批評

 ゲームデザイン同人誌「ゲームデザインの魔導書」( http://gdgrimoire.tumblr.com/ )に掲載されてゐる@geekdrumsさんの「ワンダールクス」なるゲームデザイン理論について批評します。

目的の確認

何度か読み直してみましたが、この「ワンダールクス」は何を目的とした理論なのかといふのが少々掴みづらいと思ひました。一旦「問題提起」の部分を引用します。

 ゲームをデザインするための理論や方法論は数多くあるが、ゲームの定義は幅広く、そのすべてを包括する理論というのは十分ではなかった。
 ゲーム全体をデザインする時に、ある部分がよく出来ていても、他の部分が原因でその魅力にたどり着かないという場合が発生しうる。物語の面白さ、メカニクスの面白さ、気持ちよさ、世界観、それぞれの要素のみを追求することは危険を孕んでいる。
 ワンダールクスは、ゲームという構造の「全体」を照らし出し、それらの「関係性」を明示することで、あらゆるゲームを対象に、
個々の要素の魅力をどう接続し、またはどう分離するかをコントロールできるようにするものである。(p.04)

 「ジャンルを超えてゲームの構造を説明する統一理論」といふのが基本方針のやうですが、「ゲームクリアまでプレイヤーを導くための処方箋」といふやうな位置づけも読み取れます。p.09にも「最後まで遊んでもらうため」とありますし、実用的な面からは寧ろこちらがゲームデザイン理論を立てる狙ひとして妥当ではないかと感じました。
 「ゲーム全体の構造」といふと「ゲームそのものの内容」を問題にすべきだと思ひますが、「ゲームそのものの内容」に就いて論じてゐるのか「プレイヤー体験」に就いて論じてゐるのかが至る所で混同されてゐるやうに思はれました。どちらかと云へば、プレイヤーの体験を中心に考へてゐるものと見受けられましたので、さうだとすれば、「ゲーム全体の構造の説明」ではなく「ゲームクリアまでのプレイヤー体験の概観」とした方が適切でせう。また、このことから「ゲームに於けるユーザーエクスペリエンス設計」といふ方向性が見出せます。そしてこれは「ゲームクリアまでプレイヤーを導くための処方箋」といふ目的には相応しい見方だと言へます。

タイムスケールの謎とレイヤーの関係性

 結論から申し上げますと、「タイムスケール」といふ概念の説明が付かない為、理論として破綻してゐると云ふことになるかと思ひます。
 ワンダールクスではゲームの要素は「情報」「応用」「遊戯」「進行」の4つのレイヤーに分類され、それはタイムスケールによる分類であるとされてゐます。しかし、各レイヤーの説明を読む限り、時間は関係無いのではないか、といふ気がしてなりません。タイムスケールとは何なのでせうか。「前提」には以下の様に書いてありますが、これだけでは漠然としてゐます。

「タイムスケール」とは時間の長さを適当なわかりやすい単位で区別するために用いる。
あらゆるゲームに適応させるために、数値には柔軟な幅を設けている。(p.04)

 最初の宣言でこのやうな言ひ方をされると困るのですが、基本的には「時間の長さ」のことであり、その長さは場合によって可変するといふことでせうか。残念ながらどんな場合にどんな時間が割り当てられるのかといふ例は無く、各レイヤーに目安となる曖昧な時間が示されるに留まってゐます。
 レイヤーの説明の注釈に以下の様なものがあり、タイムスケールが表す時間は「プレイヤーの認識する時間」と捉へられます。ただ、これは「客観的に計れる実時間とどう違ふのか」を明確にしないとあまり意味が無いと思ひます。「体感時間」を計る手段が無ければ、議論のしやうがありません。

※1 タイムスケールの軸を指数関数的な増加としているのは、人間の時間に対する認識がおおよそ指数関数的に変かすると考えられるため。
※2 「Player」という矢印が示すのは、そのゲームのプレイ時間に応じてプレイヤーがどのレイヤーの楽しみまで到達しているか、という流れであり、実時間軸とは違う。(p.05)

 ※2の説明では、レイヤーとは「プレイヤーが感じるゲームの楽しみ(良質な体験)の段階」であり、それはプレイ時間の経過により「情報→反応→遊戯→進行」の順に遷移すると読み取れます。ところが同頁の表にはレイヤーの構成要素としてキャラクターやSEなどの「ゲームそのものの内容」が挙げられてをり、理解に苦しみます。プレイヤーのプレイ時間を基準に区切れるものはプレイ体験そのものでしかない筈です。
 さう考へると「ゲームそのものの構成要素としてレイヤーがあり、特定のレイヤーの楽しみを享受するには特定のプレイ時間(=タイムスケール)を要する」と読むしかありません。しかし、それではレイヤーの定義にプレイヤーの体感時間であるタイムスケールを使用するのは適切ではないといふことになります。例へば、「アイテムの獲得」は進行のレイヤーに当たるさうですが、「数時間から数日のプレイ時間を経なければアイテム獲得の楽しみが感じられない」といふことは有り得ないでせう。或る程度習熟しなければ良さが分からないものもあるにはあると思ひますが、「数時間経つと進行レイヤーに分類される要素の良さが分かってくる」とか「数フレームで音楽の良さが分かる」とかいふ風に一概には言へないはずです。

 またこれらのレイヤーは包含関係にもなっており、情報が毎フレーム与えられ、複数のフレームに一度入力に対して反応が得られ、複数の入力によって能力を行使することで遊戯が成り立ち、複数回の遊戯を通した努力によって進行が得られる。(p.05)

 これに就いては遊戯をスポーツなどに於ける一試合とした場合に、遊戯が情報と反応により構成されるといふことであれば包含関係と言へさうです。しかし、進行は遊戯の結果得られるものであって、包含関係にはなってゐないと思ひます。一方で、一試合単位で見れば概ねどのやうなゲームでも当て嵌まると思はれます。ただ、飽くまで一試合単位のものであって、ゲームクリアまでにはこれらの内容が繰り返し現はれることになります。このことから、タイムスケールとは要素の出現頻度のことではないかと私は考へましたが、ワンダールクス内ではそのやうな記述はありません。
 もう一つ、気になるのは以下の一文です。

レイヤー構造はゲーム中にも変化しうる。(p.09)

 進行のレイヤーのタイムスケールを「数時間・数日」と長くとってあるにも拘らず、更にゲーム中に変化してしまふといふのは如何なものかと思ひます。これは最早レイヤーが時間に規定されないといふことを認めてゐるやうなものでせう。
 p.09の「ボトルネックがあるゲーム」の例を見ても、情報や反応のレイヤーが薄くて長いとはどういふ状態なのか想像できません。情報レイヤーは遍在するのであって、時間的な拘束は無いはずなので、仮に情報のレイヤーに魅力が無いとしても次のレイヤーへ進めないといふのはどういふことなのか分かりません。
 このやうにタイムスケールといふのが何なのか分からないし、レイヤーの定義と時間はあまり関係が無いと考へられますので、この理論は残念ながら根本的なところで躓いてゐるといふことになるかと思ひます。
 レイヤーとタイムスケールの関係が消えてしまふと、「情報→反応→遊戯→進行」といふ遷移の説明が付かなくなり、「レイヤーの関係性と、美しい再構成の方法」といふ節の内容が丸ごと説明がつきません。ゲームの途中で離脱してしまふかどうかはコンテンツの配分が問題であって、4つのレイヤーが順番に来るかのやうな考へは無用でせう。途中で離脱してしまひかねない中弛みがあるとしたら、実際のゲームプレイの中でどのやうな内容が出現するかを見た方が素直です。
 私がタイムスケールを理解できてゐないだけで、レイヤーの関係性自体は正しいのではないか、といふことも考へられますが、p.10の例を見ると不可解なところがあります。ゲーム性が殆ど無いがゲームと呼ばれてゐるものは有り得ますので、風ノ旅ビトの遊戯レイヤーが省略されてゐるのは有り得る話です。しかし、インタラクティブ性を完全に廃するとゲームは成り立ちませんから原則として反応のレイヤーは省略不可能なはずです。ところが、不思議のダンジョンは反応のレイヤーが省略されてゐると述べられてゐます。不思議のダンジョンは1ターンごとの状況変化に常に目を見張らねばならない様なゲームですので、入力一手一手にある程度の反応が返ってきます。これで省略されてゐるとするといふのは腑に落ちません。FF13の離脱の原因が進行のレイヤーにあるのならば、やはり順番がをかしいと思ひます。FF13の説明に苦難して「レイヤー構造はゲーム中にも変化しうる」としたのでせうか。もし、レイヤー構造がゲーム中に変化するのならば、ボトルネックを探すためには図が一つでは足りないといふことになり、或る時点でのレイヤー構造をどう示すかといふ話をしなければなりません。
 タイムスケールを抜きにしてレイヤーの大きさを図示しても、それは従来の「グラフィック・サウンド・手触り感・ゲーム性・ストーリー」などの切り口を言ひ換へただけに過ぎず、新しい理論とは言へません。おまけに、縦軸の魅力について何の指標も示されてゐませんので、実際に魅力が足りてゐるのか客観的に判断できませんし、足りてゐない魅力を補強するにはどうすれば良いかといふ方針も立てられません。依って、図を書いても恣意的なものにしかなりません。魅力といふものを計る上で主観的な判断が役に立たないとは言へませんが、それは理論とは云へますまい。
 抑〻タイムスケールといふ発想はどこから出てきたのでせうか? 以下のやうな内容があります。

 人間の可能な行動はタイムスケールによって「情報の認識」→「単純な入力」→「能力の発揮」→「継続的な努力」といったように質的に変化していくので、ゲームはこれに応答している、と考えられる。(p.05)

 恐らく心理学あたりの智見だと思ひますが、詳しいことは分かりません。見たところプレイヤーの習熟度といふことであれば該当しさうではあるものの、ゲームプレイ全体を通して当て嵌まるもののやうには思へません。これを根拠としたいのであれば出典を明記し、この4つの段階とワンダールクスが提唱する4つのレイヤーが一致するかどうかを照らし合はせる作業が必要だと思ひます。

まとめ

  • タイムスケールが何なのか分かりません。
    • 私の解釈が間違ってゐるのなら、指摘して欲しいです。
  • 「ゲームそのものの内容」と「プレイヤーが体験として感じること」を別けて考へて欲しい。
    • ゲームデザインとして実際に作るのはゲームコンテンツそのもので、体験は実際にプレイしなければ生まれません。特にレイヤーといふ概念がコンテンツの中身を指してゐるのか、体験の内容を指してゐるのかが曖昧です。
    • ゲームの内容によって生まれうるプレイ体験が方向付けられる訣ですが、論理的な話をする上では両者を混同するのは望ましくありません。
  • 何のための理論なのかといふのを整理しなほして欲しい。
    • ユーザーエクスペリエンス設計といふ方針でいくなら、体験の方が問題になるはずですので、「ゲーム全体の構造」といふのはあまり考へなくて良いと思ひます。
    • 「ゲーム全体の構造」を説明したい場合、「ゲームそのものの内容」に着目した方が考へやすいのではないでせうか。もしかすると、単一神話論のやうなものが見つかる可能性はあると思ひます。
    • 「ゲームクリアまでプレイヤーを導くための処方箋」を目指すとしたら、恐らく別のアプローチが必要だと思ひます。レベルデザインの範疇になるのではないでせうか。
    • 序でに、人間の全ての行為がゲームかどうかはゲームデザインする上では重要ではないと思ひます。世界観としては私も同じ意見ですが……。
  • 魅力とは何かを深く考へるべし。
    • 作者が意図してゐるかどうかは分かりませんが、私としてはタイムスケールやレイヤーなどは忘れて「ゲーム体験上にはかういふ種類の魅力があって、かういふ尺度で計ることができる」といふ話にすれば、実用的なゲームデザイン理論として成立するのではないかと思ひました。
    • 感じ方に個人差があるといふ点については、ユーザーエクスペリエンス設計に於けるペルソナの設定のやうなことをすれば、或る程度の当たりは付けられるはずです。

 以上、全力でぶった切ることになりまして誠に恐縮です。

「任天童子」の序文を勝手に校正

 任天童子とは、クラブニンテンドーの特典として配布されたニンテンドーDSiウェア*1です。ゲームとしては、ダンジョン探索といふ感じです。舞台設定は、平安時代を土台に任天堂由来の要素*2を加へたものです。
 ここでいふ序文は、ソフトウェア起動からタイトル表示までに表示される物語を指します。文語体で書かれてゐるやうですが、少々気になるところがありましたので、僭越ながら分かる範囲で校正させていただきました。

原文の引用

 振り仮名表示ができませんので、括弧に入れました。ご了承くださいませ。

世(よ)のなかに絶(た)えて戦(いくさ)のなかりせば
人(ひと)の心(こころ)はのどけからまし

帝(みかど)が国(くに)をおさめし、古(いにしえ)の話(はなし)。
天(てん)と地(ち)は神(かみ)が人(ひと)に賜(たま)いし
三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)により
和合(わごう)をもってなすこと幾世(いくよ)。

されど地(ち)の異形(いぎょう)つと荒(あら)ぶりて
帝(みかど)より神器(じんぎ)を奪(うば)ふ。

国(くに)は乱(みだ)れ人(ひと)は笑(え)みを失(うしな)ひ、
帝(みかど)おおいに憂(うれ)いし。

神器(じんぎ)、異形(いぎょう)の闇(やみ)に満(み)つ
魔楼閣(まろうかく)の深(ふか)きにあり。
あまたの猛者(もさ)を送(おく)りけむが
誰(たれ)一人(ひとり)として後(のち)の便(たよ)りなし。

帝(みかど)、代々(だいだい)伝(つた)わる言(い)ひ伝(つた)えにて
古都(こと)の守(まも)り神(がみ)に親書(しんしょ)を託(たく)し
天(てん)が選(えら)びし童子(どうじ)をただ待(ま)つ

かくして一人(ひとり)の童子(どうじ) いざ
闇(やみ)を見据(みす)えて 歩(あゆ)みゆかん

この童子(どうじ)、
後(のち)に人(ひと)はこう呼(よ)ぶ――

任天童子 <タイトル表示>

主な指摘箇所

  • 「奪ふ」や「失ひ」など、歴史的仮名遣と思しき箇所がありますが、非常にまちまちで一貫性がありません。文語体で書かれてある以上は、歴史的仮名遣に統一するのが望ましいと思ひます。さう長くない文ですから、面倒臭がらずに辞書を引きませう。
  • 時制の表現が等閑です。語り手の時間関係も曖昧です。
  • 終止形と連体形の区別がついてゐないやうです。
  • 句読点の有無が不統一です。最初の文は和歌なので良いとしても、後の文章には付けておいた方が良いでせう。
  • 帝には最低限の敬語を使ひませう。平安らしさを出すには「させ給ふ」などの二重敬語を用ゐると良いかと思ひます。

※漢字については不問としました。

修正版

上記、敬語以外を修正したものが以下になります。関係のない振り仮名は外しました。

世のなかに絶えて*3戦のなかりせば
人の心はのどけからまし

帝が国をおさめし、をさめたりし*4古(いにしえいにしへ)の話。
天と地は、神が人に賜いしひける*5
三種の神器により、
和合(わごうわがふ)をもってなすこと幾世。

されど、地の異形(いぎょういぎゃう)つと荒ぶりて、
帝より神器を奪ふ奪ひてけり。*6

国は乱れ、人は笑(えゑ)みを失ひ、
帝おおいにおほいに憂いしへけり。*7。

神器、異形(いぎょういぎゃう)の闇に満つ
魔楼閣の深きにあり。
あまたの猛者を送りけむがつれど、*8
誰一人として後の便りなし。

帝、代々伝わる伝はる言ひ伝え伝へ*9にて、
古都の守り神に親書を託し、
天が選びし童子をただ待つ。

かくして一人の童子、いざ、
闇を見据えゑて、歩みゆかんむ*10。*11

この童子をば*12、
後に人はこうかく*13呼ぶびけり*14――

任天童子 <タイトル表示>

序文の内容について

 原文を引用しつつ、気になる点を挙げる程度にとどめます。振り仮名は除きました。

世のなかに絶えて戦のなかりせば
人の心はのどけからまし

 「せば〜まし」といふのは、「反実仮想」の表現です。最初にこの文を見たとき、凝った文語文が続くのかと期待してしまひましたが、期待外れでした。どうやらこの文は古今和歌集の和歌*15の模倣のやうです。それで付け焼き刃でも「反実仮想」の表現が正しく使へたわけですね。
 口語訳すれば、「もしこの世に戦争が無ければ、人心は穏やかだらうに」となります。しかし、この内容はどうも浮いてゐると思ひます。この後の話にも、ゲーム本編にも「戦によって人々が苦しんだ」といふ内容は出て来ません。「平家物語」の「祇園精舎」のやうな体裁にしたかったのだと思はれますが、本編と関係の無い内容では蛇足と言はざるを得ません。

帝が国をおさめし、古の話。
天と地は神が人に賜いし
三種の神器により
和合をもってなすこと幾世。

 帝が国ををさめるのは普通のことなので、最初の文はやや不自然です。今は帝とは呼びませんし、この序文全体がいつの時代に立ってゐるのかが曖昧です。昔話をはじめるときに必要な言葉は、「今は昔」だけで十分かと思ひます。
 「天」「地」「神」「人」「神器」と立て続けに色々出て来ますが、これらについてはゲーム本編でもまともに語られませんので、まるで意味が分からなくなってしまってゐます。後の文を見れば、ここでの「人」は「帝」の事らしいことが分かります。こんなややこしい言い方をせずとも、「帝が神器を有してゐる」といふ内容にすれば良いかと思ひます。
 「三種の神器」がどういふもので、どう平和に役立ってゐたのかが分からないので、それを説明すべきです。

されど地の異形つと荒ぶりて
帝より神器を奪ふ。

 「地」には異形がゐるらしいのですが、「人」が住んでゐるのも「地」なのでせうか。位置関係が全然見えてきません。
 それに、なぜそんなにあっさりと奪はれたのでせうか。神器が不思議な力によって平和を維持してゐたのであれば、悪しきものを寄せ付けない神通力ぐらゐはありさうなものです。また、ゲームをクリアしても、結局なぜ異形が神器を奪ったのかは分からずじまひでした。いきなり出て来て神器を奪って、魔楼閣に引き籠もって、何がしたかったのでせうね。

国は乱れ人は笑みを失ひ、
帝おおいに憂いし。

 具体的なことは何も書かれてゐませんので、やはり「神器」の効力は見えてきません。
 ここからは帝を中心として語られるやうです。

神器、異形の闇に満つ
魔楼閣の深きにあり。
あまたの猛者を送りけむが
誰一人として後の便りなし。

 「異形の闇」とは……?
 猛者を送ったのは帝ですね。

帝、代々伝わる言ひ伝えにて
古都の守り神に親書を託し
天が選びし童子をただ待つ

 妙な重ね言葉にせずとも、「代々の言ひ伝へ」で良かったと思ひます。
 「古都」は現在の東京に対する京都のことなのか、平安京に対する平城京なのか、やはりここも時間が曖昧です。ゲーム本編には平城京は出て来ませんから、京都のことと捉へるしかありません。話しの流れからすれば、単に「都」とする方が自然です。
 「古都の守り神」と「天の神」は違ふものなのでせうか。更にややこしくなってきました。「古都の守り神」は、本編に登場する四神のことだと思はれます。しかし、童子を選ぶのは「天」なのです。「帝」→「古都の守り神」→「天の神」といふ情報の流れになってゐるのでせうか。わけが分かりません。
 「ただ待つ」といふ表現も引っ掛かります。帝は「おほいに憂へて」いらっしゃった筈ですが、どうも臨場感が欠けてゐます。言ひ伝へを信ずるにせよ、不安を覚えないことはないでせう。童子の登場への期待感を増すためにも、ここは帝の苦悩を描く方が良いと思ひます。

まとめ

 投げっぱなしの設定が散見されますし、仮名遣は中途半端ですし、残念ながら雰囲気だけで書かれたものだと判断されても仕方が無い出来だと思ひます。*16
 敬語を省いたり、何もせずに鎮座してゐると読める書き方にしたり、帝の扱ひが酷いと思ひます。これを書いた人は、天皇制廃止論者か何かなのかと邪推したくなります。本作では主人公の成果を最終的に評価する立場の人物ですから、もっと顔を立てるやうにすべきです。
 「昔っぽい言葉」に逃げずに文語で書かうとしたこと自体は評価したいので、もう少し頑張って欲しいと思ひます。語彙に関しては読む側のことも考へれば厳しいと思ひますが、仮名遣や用言の活用や助動詞の使ひ方ぐらゐは何とかなるはずです。
 まともに校正できる人員を開発現場に配置すべきだと思ひます。

ゲーム内容について

 否定的なことばかりでは何なので、少し持ち上げておきます。
 ゲーム自体はローグライクに近いダンジョン探索ゲームです。特徴は以下のとほりです。

  • 移動にもコストが必要なので、無駄な行動が制限されます。
  • 恒常的に敵を攻撃することができません。攻撃用のアイテムが必要になります。
  • 敵の姿は最初は見えません。敵を倒すのではなく、見つからないやうにやり過ごすのが基本戦略となります。
  • 経験値とレベルアップがありません。事実上の能力上昇機能はありますが、敵を倒すだけでは上がりません。

 このやうに様々な制限があるために、力押しでは進めないゲームになってゐます。ボタン連打で進むお手軽ゲームでは満足できない人に向いてゐると思ひます。常に次の手を考へないといけませんので、一旦始めると思はずのめり込んでしまひます。誤って敵にぶつかってしまったときには、本当に冷や冷やさせられました。「洗練された隠れん坊」とでも言ふべきでせうか。よくできてゐると思ひます。

*1:ニンテンドー3DSでしか遊べないさうです。

*2:主に秘宝といふアイテムの形で登場します。

*3:「絶ゆ」はヤ行動詞なので、「絶えて」で合ってゐます。

*4:あまり必要無いかもしれませんが、存続の「たり」を加へて、直感的に「をさめてゐた」と置き換へられるやうにしました。

*5:「し」(「き」の連体形)は直接体験の過去と呼ばれるものなので、ここでは避けました。

*6:「奪ふ」といふ行為はここで完結してゐると考へられますので、完了表現にするのが適切でせう。

*7:「憂ふ」は本来は下二段活用です。

*8:「けむ」は過去推量の助動詞ですが、ここで突然推量が入ってくるのは変です。また、逆接は「已然形+ど」の形にしました。

*9:「伝ふ」「伝はる」「伝へる」はいづれもハ行動詞です。

*10:間違ひとは言ひ切れませんが、上に「けむ」がありましたので、「む」に合はせました。「けむ」は削除しましたが……。

*11:ここで童子の行動が一人称的に語られるのには違和感を覚えますが、文学的には許容範囲でせうか。

*12:童子が主格に見えるので、目的格であることを明確にしました。

*13:指示語の「かう」は「かく」のウ音便です。

*14:最後なので、「けり」を付けました。

*15:「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」在原業平

*16:ゲーム本編に「都の宴」といふイベントがいくつかありますが、それらも同様です。手間なので、そこまで校正はしません。

表記の方針

概要

 基本的に*1「歴史的仮名遣*2」による「ですます調」で記述します。

「歴史的仮名遣」を用ゐる理由

 長くインターネットに触れてをりますと、その独特な表現が染みついてきます。そして、ある日ふと「このままでは、まともな日本語が書けなくなるのではないか」といふ不安に駆られました。やはり、本来の日本語を使ふはうが良いと思ひなほし、改めて日本語を学ぶことにしました。
 ところが、知れば知るほど不可解なのが「現代仮名遣」でした。「現代仮名遣」といふものは、ある点については言葉の繋がりや伝統的表記を重視するとしたり、また別の点については現代語音に従ふといふ基準を設けたりと、よくよく見れば支離滅裂な表記規則です。これはまさしく杜撰なお役所仕事に他ならず、日本語を大事にしようと思へばこそ、従ふべきものでは到底ないといふ結論に至りました。
 それに対して、「歴史的仮名遣」は古来の表記にならふといふものです。日本語に限らず、言語といふものは一朝一夕に成立するものではなく、歴史的変遷を辿って成熟するものです。「歴史的仮名遣」はその歴史的変遷を保持する表記規則です。多少の発音の差異こそあれ、語源や語と語の関係が分かりやすく、今の感覚でも十分に得心がいくものとなってゐます。そもそも、書き言葉といふものは意味を伝へるべきものであって、発音は二の次で良かったのです。英語の綴りと発音が異なるのも同じ理窟でせう。発音を重視すれば、それは発音記号となってしまひます。
 学校教育では英単語をひたすらに書いて覚えさせるといふことを実施してゐます。つまり「外国語については発音と異なる伝統表記を盲信するやうに覚えさせ、母国語については半ば発音記号と化した表記法を正式として教へてゐる」といふことです。こんなに馬鹿げたことはありません。
 母国語である日本語そのものを尊重するために、私は「歴史的仮名遣」を使ふのです。

捨て仮名

 促音および拗音は小書きとします。「只管昔に戻すこと」を趣旨としてゐる訣ではないので、取り入れて然るべきものと判断しました。

漢字の表記

 舊字體*3としたいところですが、可読性と環境によって表示できない危険性を考慮して断念します。概ね現在の一般的な表記となります。

カタカナ外来語の表記

 まづ以て必要が無ければ外来語の使用は控へます。使ふ場合は一般的な表記に従ふものとします。

*1:引用や固有名詞は例外です。

*2:内容はあくまで現代語です。

*3:旧「舊字體」新「旧字体」字音「キウジタイ」